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2005/12/30

ポチの休憩室(2)

 共に暮らした雑種犬ポチと私達との思い出が色褪せないうちに、整理し記録しておこうと思い立ち、このブログを書き始めて10ヶ月余り、書いているうちにも更にエピソードを思い出したり、私が知らなかった事を家内に教えてもらったりしながら、漸くここまで書くことが出来ました。また記事をお読み下さった方々から、暖かい心のこもったコメントを沢山頂き、大変感謝しております。記事としては最終段階に入り、私の書けることも残り少なくなりましたが、どうぞ最期までお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。

 明日より正月休みに入ります。皆様良いお年をお迎えください。
                                つづく

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2005/12/27

第56章 その後の日々

 私達は、平成16年8月16日(月曜日)を家内の実家で迎えた。前日まで、家内の兄弟姉妹とその家族が多数集まり、大いに賑わっていたが、お盆休みも少なくなり、皆それぞれの生活の場へと帰っていった。前日の夜帰る家族、16日早朝に帰る家族等々、「またお正月に!」と挨拶を交わしながら、それぞれのペースで去っていった。
 毎年、最期に家内の実家を離れる私達は、この時期いつも二人とポチだけであったが、更にこの年は二人きりの寂しい夏となったのである。
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 月曜日ということで、ポチの消息の新しい情報が入っていないか、各関係機関に問い合わせたが、良い結果は得られない。何か情報が入れば知らせてもらうことをお願いする。
 昼過ぎには、私達の職場、友人、ご近所等へのお土産の買出しに市街へ出かけ、その帰り私の実家へ立ち寄った。もしポチが、実家の近所の敷地内で息を引き取っていたならば、亡骸が発見された時、そのお宅に迷惑を掛けることになる。その為、実家の周り数軒に、予めその旨の挨拶に伺うためであった。
 
 「もし犬の亡骸を見つけたときは、遠慮なく何なりと私の実家へ申し出てください」とお願いする。近所を回りながらも、念のためと思い、気になる場所を捜す二人であった。
 挨拶周りの後、実家で小一時間程過ごし、今後のことを重ねてお願いして家内の実家へ帰ったのである。翌17日の明け方には、私達も生活の場へ帰らねばならなかった。

 その夜、荷物の整理をしながら、私達は話し合った。時間と距離的には遠回りとなるが、今一度私の実家の近くに行き、せめて魂だけでも一緒に連れて帰ってやろうよ、と決めたのである。

 17日、朝5時、私の実家の前に着いた私達は、何時もポチが乗り降りした左後部のドアを開け、「ポチ、帰るよ、早く乗って、」と声を掛ける。そしてドアを閉め、家の回りの道路をゆっくりと回り、更に数箇所で同じ動作を繰り返した。「確かにポチは乗ったよ、」家内が涙を頬に伝わらせながら、震える声で私に言った。私は「うん、乗った、」と頷いたが、声はかすれていた。不覚ながら涙が溢れてしまっていた。
 帰りの道路においても、何時もポチが乗っているように、後部の窓を少し開け放し走行したのであった。

 18日以降、通常の生活が始まったが、ぽっかりと心の中に穴が開いた心境であった。
 帰宅してすぐ、京都府北部の地方紙に、ポチの写真付きで迷い犬捜索の記事掲載の手配する。担当女性記者は「かわいいワンちゃんですね、早く見つかると良いですね。」という暖かい言葉を、電話越しにくれたのであった。

 その後、記事を見た読者から、この犬を見かけたという情報が数件あって、父、弟、甥がすぐに動いてくれたが、いずれも誤報であった。当然に各関係機関にも何度か問い合わせたが、情報は得られず今日に至ったのである。
                                 つづく 

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2005/12/23

第55章 ポチを捜す日々(2) 

 ポチが失踪してから二日経ち、手掛かりのないまま8月14日土曜日の朝を迎えた。この日も容赦のない日差しが、朝から照り付けていた。
 何かポチを捜し出す良い手立てが無いものかと考えた私達は、実家の庭の道路に面した角地に、迷い犬の看板を立てることにした。

 近くのホームセンターが開店するのを待ちかねて、早速私は、板、杭、ペンキ、筆(細い刷毛)等の材料の買出しに出かけた。幅45cm、縦90cm程の合板に、油性ペンキで迷い犬捜索の文字を書き、板の裏に杭を打ち付け、それを角地に打ち込んで立てた。板には大きく、「迷い犬を捜しています。名はポチ、年齢16歳、毛色は白地に茶の斑点。老犬のため、目と耳が不自由です。どんな些細なことでも結構です。お心当たりの方は左記にご連絡下さい。」と書き、私の実家の電話番号を記したのであった。
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 この看板を立てている最中にも、幾人かの通りすがりの人達が文字を読み、「あー、大変ですね、早く見つかると良いですね、」と声を掛けてくれたり、二日前から捜していることを知っている人は、「まだ見つからないですか、
頑張って下さい、」と気遣ってくれたのであった。人の優しさが心に響いた日々であった。
  
 前回の記事でも書いたことであるが、ポチを捜すため何か体を動かしている間は、ぽっかりと空いてしまった心の穴を忘れることができたが、その行動が終わった途端、何ともいえない、居ても立ってもいられない不安感と失望感が頭をもたげてくるのであった。その不安感を払拭するため、この日も何度も甥の自転車で周辺を走り回った。そして思ったのは、このままポチが見つからないのであれば、この暑さの中、幾日も苦しむことなく早く眠るように逝って欲しいということであった。

 翌8月15日の日曜日午前中、私達は、家内の兄弟姉妹家族が集まっている、家内の実家へと向かった。お互いの実家は車で15分ほどの距離であり、家内の実家からでも、ポチを捜すこと自体に、全く問題はなかったのである。私は実家を離れるにあたり、親兄弟達に、くれぐれもポチのことを宜しくとお願いし、何か情報が入れば連絡をくれるようお願いしたのであった。

 家内の実家では家内の兄弟姉妹が、お昼のご馳走の準備をしながら、私達の到着を今かと待ってくれていた。
到着し、まず久しぶりに会った挨拶を交したが、誰言うとなく「あれっ、ポチは?」と問いかけてきた。私達は先日来の経緯を辛いながらも話さねばならなかった。家内の姉妹の中でも特に、12日に私の実家に行く前に一度家内の実家へ立ち寄ったとき、私達を迎えてくれた近くに住む義姉は、「なんでっ!あんた達、こんな所に来ている場合と違うよ!早く捜さないと!」と言ってくれた。彼女は、家内が父の看病のためポチを連れて何度も帰省したとき「ポチッ!ご苦労さん、」と言って、何時もポチを労ってくれた人である。
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 義姉には、実家の周辺を何度も捜したこと、看板を立てたこと、保健所、警察等の関係機関には届け出ていること等々話したのであった。それでも義姉の言葉に従い、昼食まで捜すことにした。そして海外に住んでいてお盆で帰国していた姪が、「私も一緒に捜してあげるよ!」と言ってくれて彼女の車で捜しに行くこととなった。

 3人で、こんな所にはポチは行かないだろう、という場所までくまなく捜したが、やはりポチを見つけることはできなかった。広い田んぼ中の農道に立ち尽くし、夏の風に吹かれながら、せめて亡骸だけでも見つけてやりたいという思いに、心が変わって来たのを自覚した私であった。
                              つづく

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2005/12/14

第54条 ポチを捜す日々(1) 

 翌朝午前5時、私達夫婦は、夜明けと同時にポチの捜索を始めた。両親及び弟家族には、これ以上の負担を掛けたくなかったので、私達だけで出発した。その日も一段と暑くなることが予想された。

 ポチを捜す途中、幾人かの人に声を掛ける。近くの畑で、既に仕事に取り掛かっていた老婦人に声を掛け、事情を話し尋ねるが、見かけなかったという返事。更に、白い大型犬を連れ散歩中の年配の夫人に尋ねる。やはり手掛かりなし。「それは心配ですね、早く見つかるといいですね・・」と、ねぎらいの言葉。丁寧に礼を述べ、捜索を続けた。暑くなる前に何とか捜したいと思うばかりであった。2時間捜し回ったが、ポチの行方は全く手掛かりなしであった。一旦実家に帰り、既に起床していた実家の家族に、捜索の結果を告げる。皆沈痛な面持であった。
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 私達が、毎年盆と正月に帰省するのは、もちろん物見遊山ではなく、長男夫婦としての務めがあった。どんなにポチのことが気がかりであっても、その務めはやらねばならなかった。心は嵐の中、必死で家の周りの清掃、墓参り等をする。墓前でも、ポチが早く見つかることを祈ったのであった。
 家内も当然、長男の嫁の務めがある。三度の食事の支度、家事の手伝い等々、私より更に多くの仕事がある。
そんなもの全てを放り出して捜し回りたいが、じっと耐えてそれらをきちんとこなした上で、ポチを捜索したのであった。

 9時になると同時に、管轄の保険所、動物保護センター、警察署に捜索の連絡を取る。毛の色、性別、老犬であること、私の住所は神奈川県であるが京都府の実家に帰省中に行方不明になったこと等々、細かく説明しお願いする。どの部署も応対は親切であった。

 その後も折を見ては、ポチを捜しに出掛けた。甥の自転車を借り捜し回る。夏の日が照りつけ汗が流れ落ちる。しかし、この暑い中でポチも苦しんでいるのではと思うと、自分の暑さなんかなんでもないと思った。自分が苦しめば、その分ポチは楽になるような気になって、懸命にペダルを漕いだ。
 捜し回っている間は、捜すこと自体に気を取られ、少し気が紛れたが、手掛かり無く実家に帰ると、途端に例えようもない不安感が襲ってくる。その不安感に耐え切れず、また自転車を駆って捜しに行く、このことの繰り返しであった。
                                つづく 

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2005/12/04

第53章 ポチが失踪した日(2)

 平成16年8月12日の夕方、私達は懸命にポチを捜し続けていた。西日は容赦なく私達を照らして、体から汗を噴出させていた。遅れて帰宅した弟も加わり、総出での捜索となった。
 
 ポチは、私達が荷物運びを終えて一息ついた午後4時20分頃から、甥がポチがいないことに気付く4時40分頃までの僅か20分間に、失踪したことになる。蝶々結びにしてあったリードとナイロン紐の結び目を引っ張って解いたのであろう、首輪とリードを付けたまま、消えてしまっていた。
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 捜索当初は、ポチはすぐにでも見つかるものと思っていた私であったが、やがて1時間が過ぎようとした頃には、尋常でない事態に陥ったことを悟り、夏の日差しの中をさまよっているであろう老いたポチのことを考えると、身をよじるような思いになっていた。

 体を懸命に歩かせながら目と声で捜す一方、私の頭は体から遊離して、幾つかの思いが取り付かれたようにグルグルと回っていた。ポチは水を飲めているのか?なぜポチは離れてしまったのか?一刻も早く見つけてやらなければという焦り、N先生に預けておけばこんなことにならなかったのにという後悔、そして、どうしてしっかりリードと紐を結んでおかなかったんだという家内を詰る思い、であった。しかし、何回か家の周囲を捜した後、田んぼの方を捜そうとして坂を下っていたとき、田んぼを探し終えて坂を上ってくる家内の必死の形相を見た瞬間、この家内を詰る思いは消えうせ、一生口にするまいと心に決めたのであった。
 
 何の手掛かりもなく7時を過ぎ、辺りを夕闇が包み始めていた。とりあえず夕食を摂り、夜、再び捜すことにした。
年老いた両親、弟家族にこれ以上手を煩わしてもと思い、私達だけで捜すことにした。
 夜、ライトを照らしながら捜せば、動物の目はライトに反射して光るので、ポチが藪の中等、物陰に居ても分かるのではと家内も言った。後で冷静に考えると、胸に手を当てるだけで動きが止まる状態のポチが、足元に何本もの竹が折り重なった藪の中に入り込むことは、不可能であった。
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 夜の捜索も結果を得ることが出来ず終わった。ポチが遠くへ行けないことを考えると、どんなに広くても1キロ四方の範囲と思われ、探す場所も限られてしまい、同じ場所をグルグル捜すことになってしまっていた。
 この日朝早く、神奈川県から長旅をしてきた私達は、肉体的にも精神的にも疲労の極に達しようとしていたので、明朝早く起きて捜すことに決めた。

 実家の2階の私達の部屋で、疲れ切った私は、うつらうつらとしては目覚め、またうつらうつらとする夜を過ごした。となりに寝ている家内の様子を伺うと、小刻みに肩が震えているのが分かったが、そっとしておいてやるしかなかった。実家の近郊では、田舎のことでもあり、まだまだ長男の嫁の努めという風習が残っている。
 家内はポチを捜すことと共に、その努めもこなさなくてはならず、昼間ポチを捜しながらも涙を見せることなく気丈に振舞っていたが、夜床についてから、込み上げてくるものがあったのである。
 
 私は、夜中何回か階下に降り、勝手口の土間を覗いた。勝手口の戸は、夜、ポチがいつ帰って来ても入れるように、30cm程開けてあった。しかし、何回覗いても、ひょっとしてポチが帰っているのではという私の淡い望みはかなえられなかったのである。
                                つづく 

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