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2005/11/27

第52章 ポチが失踪した日(1)

 私の郷里である京都府福知山市は、古くからの城下町で、戦国時代には明智光秀の所領地として栄えた。
現在は、人口7万人弱の京都府北部の主要地方都市となっていて、平成18年1月には、近隣の三和町、夜久野町、大江町と合併することが決まっている。
 
 私の実家は、この福知山市内の郊外にあり、日本海につながる由良川の支流である土師川(はぜがわ)が流れている。実家を含め、古くからの家々が集落を成していて、集落から一段下がった場所に、小規模ながらの田園が土師川の堤防まで広がり、夏には青々とした稲の波が風に揺れている。
 祖父の代までは専業農家であったが、父の代から半農となった。父は給与生活を送りながら、土日は農作業をするという生活を長く続けたが、今は全て仕事はリタイアし、悠々自適の生活を過ごしている。
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 私は早くから実家を離れているが、弟がとなりに家を建て、実家の父母と共同生活をしている。父母は男3人の孫達、つまり私の甥達に囲まれ、賑やかな毎日を送っている。
 ポチを初めて実家に連れて行った時、現在社会人となっている上の甥2人は小学校低学年、下の甥はまだ就学前であった。 
 
 平成16年8月12日、家内の実家からポチを伴って出発した私達は、午後4時過ぎに私の実家に着き、裏庭にある車庫に車を止めた。夏の太陽は漸く西に傾きかけたところで、まだ暑い西日を注いでいた。
 私は運んできた土産等の荷物を次々と車から降ろし、それらを勝手口から運び込んだ。家内は、まずポチを降ろして、リードの先に更にナイロン製の紐をつないで、その紐を勝手口の前にある柱に結わえた。この場所は、ポチが実家に滞在するとき何時も過ごす場所であり、長くした紐により、夜以外は開け放されたいる勝手口から、屋内外をポチは自由に出入りしていた。
 家内は、新しい水を容器にたっぷりと入れて、ポチの側に置いてやった。その後、私と一緒に荷物を運んだのであった。私の父母、義妹、甥達も総出で迎えてくれて、荷物運びを手伝ってくれた。弟は仕事で留守であったが、今日は早く帰宅するとのことであった。
 
 皆はポチに対しても、「ポチ、お帰り、お疲れさん」と声を掛け、頭を撫ぜてくれたりしたが、残念ながら、若い頃のように尻尾を振って、愛嬌を振りまくということはなくなっていた。人間達の忙しない動きにも反応せず、柱に繋がれた位置でじっとしていた。いつもの夏であれば、すぐに西日を避けて屋内に移動するはずのポチであった。
 これは後で家内が語ったことであるが、今になって思えばこの時、西日に当たっていたポチが、「眩しいよう、暑いよう」というような、何とも言えない顔をしていたとのことであった。
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 荷物を運び込んだ後、私も居間に入る際にポチを撫ぜてやり、「後で散歩に行くからね」と声をかけてやった。この時にはポチも屋内に入り、勝手口の土間でたたずんでいた。
 そして皆で冷たい飲み物で喉を潤し、暫しの歓談をしていた時、ポチを最も可愛がってくれていた一番下の高校生の甥が、勝手口から家内を呼んだ。彼はいつも、ポチが実家に着くと側に行って、優しく相手をしてくれていた。
 
 「おばさん、ポチが離れているよ!」という甥の声が私の耳にも届いた。家内が勝手口に向かい暫く経った。私は、ポチは離れてはいるが、裏庭のあたりでたたずんでいるような気でいたので、そのまま居間にいたが、「ちょっと来て!」と言う家内の緊迫した声に胸騒ぎを覚えて、勝手口から裏庭に出たのであった。
「ポチがいなくなった。紐は、この後すぐに散歩に行くため蝶々結びにしていたけれど、解いて行くなんて信じられない!」と家内は言い、「取り合えず私は遠くから捜すから、近場から捜して!」と、車で捜しに行った。

 私は、裏庭、家の周囲、畑、下の田んぼの農道、近所の庭先、などを捜して回った。父母、義妹、甥達も手分けして捜してくれた。その内、遠くを捜してきた家内が帰り、「遠くには行っていないよ、ポチの足腰から考えて、やはり近場だと思う」と言い、それぞれ捜すことになった。
 この時点で私は、暫くするとポチは見つかるものと信じて疑わなかったのである。
                                つづく

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2005/11/21

第51章 ポチとの最後の旅行

 平成16年の夏、お盆の帰省の時期を迎えて、私達は、ポチを例年のように、田舎に連れて行くか否かで大変に迷っていた。
 
 体力的にかなり弱っていたポチを、N獣医師の所で預かってもらえれば、専門家の管理下で安心ではあった。
 しかし、ポチの最期には立ち会ってやりたい私達にとって、万が一私達の帰省中に、ポチに最悪の事態が訪れた場合、帰省先の京都府と自宅がある神奈川県では、余りに距離があり、彼の最後の瞬間に立ち会えない事態になりはしないかという、恐れを抱いたのであった。
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 色々二人で悩んだ末、できるだけポチの側に居てやることが、ポチにも幸せであろうとの結論を出して、彼を連れて帰ることにしたのであった。今になって思えば、この判断が、その後の悔やまれる結果の誘引となったのではあるが、この時点では分かるはずもなかった。
 更に私は、仕事上の関係から、この年、愛玩動物飼養管理士という、民間の動物愛護団体の資格を取得していて、夏に老犬の長距離移動を行うのは不測の事態を招く恐れがあり、避けるべきである、ということも知っていたが、それでも連れて行ったことに、後に大変悔やんだものである。

 8月12日の早朝、私達とポチは車で神奈川県綾瀬市を出発した。この年の夏は特に暑く、御殿場を過ぎる頃にはぎらぎらした太陽が高く昇り、容赦なく道路を照りつけて、早くも周囲の空気に陽炎を立ち上らせようとしていた。当然、エアコンは全開としていたが、ポチの車酔いを防ぐ為、後部左右の窓は15cmほど開けてあり、その隙間から、朝の熱風が流れ込んできていた。
 若い頃のポチは、窓の隙間から顔を出し、外の空気の匂いを嗅ぎながら、旅をしたものであったが、この日は、後ろの座席で、うつらうつらと寝ていた。
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 途中、2時間おきに休憩を取った。全て例年通りであったが、唯一、ポチが素早く歩けないため、家内が彼を抱えて日陰まで連れて行き、用を足させていたことであった。
 あるパーキングでは、まだ幼い少女が、ポチを見て「かわいいー!」と言ってくれた。私は「ありがとう、でも、もう、おじいさんなんだよ」と答えたことを今も覚えている。

 何回も休憩を取り、大小の渋滞も切り抜け、東名、名神と乗り継ぎ、国道9号線を丹波方面に下って、漸く午後2時過ぎに、まず家内の実家に着いたのであった。6年前に主(家内の父)を亡くしたその家は、普段は空き家でひっそりとしている。が、盆暮れは離れている兄弟などが集まり、一時の賑わいを見せるのであった。勿論、ポチはその中でも人気者であった。

 私達が着いたその日は、まだ誰も来ておらず、土産等を仏間に納めた後、私達だけで墓参りなどを済ませた。ポチも日陰を選んで散歩させた後、休ませた。その内、近くに住む義姉が来て、互いの近況を報告しあい歓談したのであった。その間ポチは、旅の疲れを癒すが如く爆睡していた。

 やがて4時15分前になり、義姉は買い物、食事の準備等の為帰宅することになり、私達とポチも今度は私の実家に向かい再び車を走らせた。
 私の実家は、家内の実家からは車でわずか15分の距離にあり、4時過ぎには無事到着したのであった。
 この時点で、8月12日は私達夫婦にとって、生涯忘れられない日となることは知る由もなかったのである。
                                 つづく 

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2005/11/15

第50章 悲しき「ポチの開き」

 ポチは、暫く私の手作りの「ちゃぶ台」を重宝して使っていたが、体の衰えは止めるべくもなかった。
私は更に、ポチの体を支える台を作り、ポチが食事中その台を、お腹の下にあてがうことも試みたが、上手くいかず、その台は廃棄となった。

 ポチはヨタ付きながらも、自力でどうにか餌を食べることができたが、その内、両足がスーと外側に開いて行き、バランスが取れなくなって、餌を入れた容器に頭からゴットンと、突入してしまったのである。食事をしていた家内が「アッ!」と声を上げ、ポチを支えるため駆け寄ったが、間に合わなかった。ポチの開きである。「悲しいねぇ~、ポチ!」と言いながら、家内が体を起こしてやる。私も、やせ衰えたポチの体を支えてやると、手に触る肉の落ちた骨の感触に、嗚呼!と、びっくりさせられたのであった。
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 我が家のリビング及びキッチンはフローリングである。年老いたポチにとっては滑りやすく、立てなくなってしまったのである。滑らないようにと、綿製のカーペットを敷いたりもしたが、足腰の筋肉がすっかり落ちたポチには、効果がなかった。

 この頃は、食べられる餌の量も、極端に少なくなっていた。ポチが餌を食べている間、家内は彼の体を支えてやっていたが、やがてポチは、餌の容器の中をじーっと見ているだけで、自分からは食べようとしなくなった。家内が手で、ポチの好きな肉や人参を彼の鼻先に持っていって、漸く少し食べるという生活が続いた。どうやら目も余り見えていないようであった。
 
 私達は、「犬は鼻さえ利いていれば、嗅覚のみで行動できるはずだから・・、ポチも耳が聞こえなくても、目が白く濁って見えなくなっても、大丈夫なのではないか」と、意味も無い事を話し合ったものであった。
 だが、その内に、鼻先にポチの好物を持っていっても、反応を示さなくなってきた。家内が「ハイ、ポチ食べて」と口の中に押し込んでやって、始めて咀嚼するという状態になったのである。

 行動面からもポチは、ヨタ付く足で部屋の隅の角に行き、角に顔を突っ込んで、ボーっとしたままになって来た。家内が「ポチ!何考えているの、」と言って、彼の体をポンポンと叩いても、何の反応も示さない。
 その内、粗相も目立ってきた。小の方はオムツで何とかしのいでいたのだが、大の方は如何せん、大変である。 家中あちらこちらで粗相をされると困るので、私達両方が仕事で留守にする時は、洗面所を彼の居場所にした。

 洗面所に、捨てても良い敷物を敷き、ドアは閉めずに、替わりに柵をして区切り、そこにポチを入れて仕事に出かけたのであった。これであれば万が一大の粗相をしても、汚れた敷物を処分するだけで済むのであった。

 こうして平成16年の春が過ぎ、やがて夏を迎えることとなった。ポチは冷房付きの洗面所の個室で、最後の夏を過ごすことになるのである。
                               つづく

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2005/11/09

第49章 ポチのちゃぶ台

 足腰の衰えてきたポチは、家に居る時、殆んどうつ伏せになって寝ていた。
但し、食事時と、水を飲む時は、懸命に両足を踏ん張りながら、時間を掛けて立ちあがった。しかしながら、その足はぶるぶると小刻みに震え、長時間立っていることは出来なくなっていた。

 更に、餌を食べたり、水を飲むためには、どうしても頭を下げなければならない。唯でさえ、立っているだけで精一杯のポチにとって、頭を下げることは重心が前足に掛かり、体を支えきれず前のめりに倒れてしまうことを意味した。このままでは、ポチは食べることも飲むことも、出来なくなってしまう。家内から私に、「ポチが頭を下げることなく、食べたり飲んだりできるように、何か工夫してよ!」と、注文が来たのであった。
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 私は、早速ポチの「ちゃぶ台」の製作に掛かった。餌用と、水用の両方を作る。製作自体は半日で出来るのだが、高さを決めるのに苦労する。高すぎてはポチが餌を食べ難く、低すぎると頭を下げる負担が大きくなるからである。
 最初は、ちゃぶ台の足を長めに作った。、数日、実際にポチが餌を食べる様子を観察し、徐々に短くしていく。短くしすぎないよう気を付けながら、5mm単位で短くしていった。3回ほど調整した高さで良しとしたのであった。
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 夕刻、「ポチ!ごはんだよ!」 家内が耳の遠くなったポチに聞こえるよう、大きな声で呼びかける。寝ていたポチは家内の声を聞き、何回か足をばたつかせながら立ち上がる。そして、リビングの隅からダイニングへ数メートルの距離を、ヨタヨタと歩く。まっすぐに歩いているつもりなのだろうが、顔と体が少し斜めに向いてしまっているので、少し違う方向へ歩いてしまう。それでもどうにか餌の有る所に辿り着いた。

 ここで私の作った「ちゃぶ台」が、効果を発揮したのであった。ポチは体を左右に揺らしながらも、美味しそうに餌を食べた。勿論、食べる量は若い頃の食べる量とは比べるべくもなかった。
 尚、この主をなくした二つの「ちゃぶ台」は、今は家内の趣味の園芸用の花台になっているのである。
                                   つづく

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2005/11/04

第48章 ポチとの散歩

 ポチが、前の飼い主の事情により我が家にやって来たのは、平成2年の秋、良く晴れた日曜日であった。ポチが2歳の時である。
突然に犬を飼うことになった私達は、飼育方法を飼いながら学ぶということになった。
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 散歩の時、若いポチは、鼻を地面に擦り付けるようにして匂いを嗅ぎながら、右へ左へと力強くリードを引っ張りる。元気が有り過ぎ、首輪で自らの首が絞まって、ヒーヒー言いながらも前へ前へと私達を引っ張った。首が絞まっては可哀想と、散歩用の胴輪を購入、以後その胴輪にて散歩をすることになった。
 書物によれば、飼い主の側にピタリと付けて歩かせると載っていたが、当時、私達はポチの気持ちに任せようと考えていた。わがままなポチに育ててしまったかもしれないと、今になって思ったりもする。
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 数年して、漸くポチも落ち着き、私達の歩きとポチの歩きのリズムが合うようになり、リードも引っ張られることなく、少し弛む程度で歩くことができるようになった。
 この時期は、晴れた日も雨の日も、朝40分、夕方50分、それぞれ3キロ前後の朝夕違うコースを、ポチは間違えること無く、私達の先を歩いた。
 私達にとっても、ポチにとっても、この楽しい時期が永遠に続くかのように思えたが、犬の成長つまり老化は、人間よりはるかに速い速度で進むことを思い知らされる。あっという間に、ポチの時間は私達の時間に追いつき、そして追い抜き、彼は衰えを見せ始めたのである。
 
 あれ程元気に散歩をしたポチが、ゆっくりと歩くようになる。特に発病してからは、少し歩くたびに咳き込み、立ち止まり、また少しづつ歩くという状態になった。今度は私達がポチの前に歩く。ゆっくりと彼の様子を見ながら、リードを私達が引っ張らないように注意して歩く。私達がポチを見ると、ポチも私達を見上げながら、苦しいよー、と言いたげにゆっくり、ゆっくりと歩いた。
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 若い頃、1回の散歩で長い距離を歩いたポチも、最後の1年程は20分ほどかけて、300mから400m程度歩くのがやっとの状態になった。立っていてもバランスを崩し、ふらりと倒れ込むこともしばしばであった。
 昼寝をするのに好きであった2階へも、自身では上れなくなり、階段下でたたずみ、2階と私達を交互に見つめ、私達に抱えて上げて欲しいと催促するポチであった。
                                  つづく 

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